鉄道写真-線区

C57

No.30 山陰本線 雪の花園駅

C57の旅客列車やD51の貨物列車が活躍していた山陰本線京都口(現在の嵯峨野線)の花園駅には何度も訪れていました。昭和46年の1月のある日(たぶん日曜日)の朝、京都市内では珍しく雪が降っていました。その光景を見て急いで花園駅まで自転車で花園...
C11

No.29 片町線・城東貨物線 放出駅

昭和45年11月に片町線(現在の学研都市線)と城東貨物線(現在のおおさか東線)が合流する放出(はなてん)駅を訪れています。現在の放出駅の南には立派なタワーマンションが建てられ近代的な駅前となっていますが、当時は貨物操車場があり城東貨物線のD...
C50

No.28 糸崎機関区 急行「安芸」

前回の呉線広駅での撮影後、糸崎に向かいました。お目当ては東京発(呉線経由)広島行の急行「安芸」の牽引機がヘッドマークを付けている勇姿でした。期待していたのはC62でしたが、あいにく当日はC59で少々がっかりした記憶があります。しかしヘッドマ...
C59

No.27 呉線 広駅のC59とC62

東海道本線や山陽本線で活躍したC62やC59の大型蒸気が第一線から退き、その当時も活躍していた呉線には一度は訪問したいと思っていましたが、昭和45年9月30日をもって呉線の蒸気機関車が引退するとの情報得て、急遽その年の8月に呉線への訪問を決...
C57

No.26 山陰本線 嵯峨駅

昭和45年~46年にかけ、山陰本線京都口(現在の嵯峨野線)で活躍するC57の旅客列車やD51の貨物列車を追っかけ、ここ嵯峨駅(現在の嵯峨嵐山駅)にも度々訪れました。現在は嵯峨野観光鉄道のトロッコ嵯峨駅も併設され多くの観光客が押し寄せています...
C58

No.23 加太駅

前回の亀山機関区を訪れ、京都への帰路に加太駅で途中下車しました。当時の関西本線には多くの貨物列車が走っていて「加太越え」としてD51が後補機を付けて活躍しており、この加太駅はマニアの聖地となっていました。「加太越え」の写真は後日撮影していま...
C50

No.22 亀山のC50

鉄道雑誌で関西本線亀山にC50がいるとの情報を得て、昭和45年(1970年)5月に亀山機関区を訪れました。よくみると8620に似た機関車でしたが、初めて見る新形式でしたので少々興奮した記憶があります。主に操車場での入れ替えに使用されていまし...
9600

No.21 西舞鶴でキューロクと初対面

前回の福知山機関区を訪れた日(昭和45年3月)には西舞鶴にも立ち寄りキューロク(9600形)を初めて撮影しました。機関区を訪れましたが、キューロクの姿はなく、まずはC12やC58を撮影しています。 Scanner Scanner その後、庫...
C11

No.20 福知山機関区

前回の福知山駅構内で「北丹鉄道 ハニ11」を撮影後、「D51 1018」の所属機関区である福知山機関区を訪れましたが、残念ながら「D51 1018」には再会できませんでした。SLを中心に多くの車両を撮影しましたが、ほとんどの写真の露出が悪く...
8620

No.12 木津駅のハチロク

前回の記事で紹介したように、昭和45年1月に奈良機関区を訪問しましたが、京都から奈良に向かっていた途中の木津駅でハチロク(8620)を見かけましたので、帰りに木津駅で下車しました。 木津駅は関西本線、奈良線、片町線(現在の学研都市線)が合流...
C11

No.11 奈良機関区

昭和45年1月には奈良機関区を訪ねています。当時は情報が少なく自宅近くの本屋さんで奈良市内の地図を見て奈良駅の西に扇状機関庫らしきものがあるのを確認して訪問した記憶があります。  当時の奈良機関区は梅小路機関区に引けをとらないくらいの立派な...
C57

No.10 旧線の保津峡駅

現在は嵯峨野観光鉄道のトロッコ保津峡駅となっていますが、昭和44年当時は非電化単線であった山陰本線の駅として2線対面式ホームがあり、 旅客列車や貨物列車が交換していました。駅周辺には民家もなく、現在のように娯楽施設が少ない時代で休日には多く...