C57

C57

No.55 山陰本線 米子機関区と安来駅

前回(No.54)紹介した倉吉線を訪問した後、山陰本線の米子機関区と安来駅を訪問していました。トップ写真は米子駅ホームから撮影した米子機関区の様子です。機関区には集煙装置付きの C57 12号機が休んでいました。(写真は全て昭和47年(19...
8620

No.50 昭和46年11月 梅小路機関区にSL大集合

山陰本線用のC57達も引退し、カマの火が消えて「つわものどもが夢の跡」状態になっていた梅小路機関区に突然、全国からSL達が集まってきました。梅小路蒸気機関車館の開業は昭和47年10月ですので、それより1年前の出来事でした。かすかな記憶ですが...
C57

No.48 SL「ひまわり号」山陰本線

昭和46年(1971年)、山陰本線に臨時列車SL「ひまわり号」が運転されました。運転区間は覚えていませんが、No.45で紹介した「汽車ポッポの旅号」と同じく福知山機関区所属の C57 41 が牽引しており、二条駅や保津峡駅周辺で撮影しました...
C57

No.45 汽車ポッポの旅号 山陰本線丹波口

昭和46年(1971年)4月25日に山陰本線京都口(現在の嵯峨野線)から蒸気機関車による定期列車が廃止となりましたが、翌5月には臨時列車「汽車ポッポの旅」号が運転されました。牽引機は福知山機関区所属の C57 41号機で運転区間は覚えていま...
C11

No.43 梅小路機関区 つわものどもが夢の跡

昭和46年(1971年)4月25日に山陰本線京都口(現在の嵯峨野線)から蒸気機関車による定期列車が廃止となり、梅小路機関区所属のC57達もその役目を終えました。その翌月(5月)に機関区の様子を撮っていましたので紹介します。長年にわたり現役の...
C57

No.42 山陰本線京都口でのSL終焉

昭和46年(1971年)4月28日、ついに山陰本線京都口(現在の嵯峨野線)での蒸気機関車が牽引する定期列車が終焉を迎えました。悲しい日ではありましたが、多くの同業者に囲まれ撮影するのが精一杯の状態で感傷に浸る余裕も無かったように記憶していま...
C57

No.41 山陰本線 京都-丹波口の築堤

山陰本線京都口(現在の嵯峨野線)において、昭和46年(1971年)4月末で蒸気機関車が引退するということで、京都-丹波口間の築堤(現在の梅小路京都西駅付近)でも最後の勇姿を撮っていました。 京都から丹波口へ向かう C57 15 右手は梅小路...
C57

No.40 山陰本線 花園駅

山陰本線京都口(現在の嵯峨野線)において昭和46年(1971年)4月末で蒸気機関車が引退するにあたり、3月~4月には自宅から自転車で良く通った花園駅周辺でも最後の勇姿を撮っていました。 Scanner Scanner Scanner Sca...
C57

No.39 梅小路から向日町への回送3重連

当時のある鉄道雑誌の運用表を見て気づいたのですが、梅小路所属のC57の2機が同時刻に向日町運転所(現在の吹田総合車両所京都支所)へ回送されていることがわかりました。半信半疑で西大路と向日町の間の桂川橋梁に向かいその列車を撮影したのが、今回の...
C57

No.38 旧線の保津峡 その2

昭和46年(1971年)の4月末日をもって山陰本線京都口(現在の嵯峨野線)から蒸気機関車が引退するとの報道があり、中学生としての勉学や部活の合間に慌ただしく蒸気機関車を追っかけました。今回は1月から4月頃の嵯峨~保津峡~馬堀の旧線で撮った写...
C57

No.31 山陰本線 二条駅

山陰本線京都口(現在の嵯峨野線)の二条駅近辺にもよく訪れていました、駅の北方のカーブあたりに陸橋があり、撮影スポットの1つになっていました。最初の写真は昭和46年1月に雪が降った日の園部行のC57です。 Scanner 別の日に撮ったD51...
C57

No.30 山陰本線 雪の花園駅

C57の旅客列車やD51の貨物列車が活躍していた山陰本線京都口(現在の嵯峨野線)の花園駅には何度も訪れていました。昭和46年の1月のある日(たぶん日曜日)の朝、京都市内では珍しく雪が降っていました。その光景を見て急いで花園駅まで自転車で花園...
C57

No.26 山陰本線 嵯峨駅

昭和45年~46年にかけ、山陰本線京都口(現在の嵯峨野線)で活躍するC57の旅客列車やD51の貨物列車を追っかけ、ここ嵯峨駅(現在の嵯峨嵐山駅)にも度々訪れました。現在は嵯峨野観光鉄道のトロッコ嵯峨駅も併設され多くの観光客が押し寄せています...
C50

No.22 亀山のC50

鉄道雑誌で関西本線亀山にC50がいるとの情報を得て、昭和45年(1970年)5月に亀山機関区を訪れました。よくみると8620に似た機関車でしたが、初めて見る新形式でしたので少々興奮した記憶があります。主に操車場での入れ替えに使用されていまし...
C11

No.20 福知山機関区

前回の福知山駅構内で「北丹鉄道 ハニ11」を撮影後、「D51 1018」の所属機関区である福知山機関区を訪れましたが、残念ながら「D51 1018」には再会できませんでした。SLを中心に多くの車両を撮影しましたが、ほとんどの写真の露出が悪く...
C57

No.18 京都駅でのスナップ写真

今となっては悔やまれますが・・昭和44~45年頃の京都駅で撮影したフィルムはあまり残っていませんが、数少ないスナップ写真をアップします。トップ画像は山陰本線ホームの C57 5です。現在の山陰線ホームからは想像もできない光景で、当時は後ろに...
C57

No.10 旧線の保津峡駅

現在は嵯峨野観光鉄道のトロッコ保津峡駅となっていますが、昭和44年当時は非電化単線であった山陰本線の駅として2線対面式ホームがあり、 旅客列車や貨物列車が交換していました。駅周辺には民家もなく、現在のように娯楽施設が少ない時代で休日には多く...
C57

No.6 初めての梅小路機関区訪問 その2

梅小路機関区の扇形機関庫は国の重要文化財に指定され京都鉄道博物館の一部として残っていますが、現在の本館あたりに立派なガントリークレーンと給炭槽がありました。そのいかにも厳つい重厚な姿は、かつて東海道本線の特急牽引機が配属されていた主要機関区...
8620

No.5 初めての梅小路機関区訪問

その当時はまだ鉄道ピクトリアル、鉄道ファン、鉄道ジャーナルなどの雑誌の存在すら知らず、No.3の記事で触れたように、山陰本線の車窓から梅小路機関区の姿を初めて見ました次第です。No.2とNo.3で紹介したように夢のような体験をさせていただい...
C57

No2. D51_1018との出会い

このブログのタイトルでもあるD51_1018との出会いについて紹介します。  小学校の修学旅行で京都から草津線経由で伊勢志摩方面に行きましたが、途中のとある駅に止まっていたD51を見て、眠っていた何かが目覚めたような気がし、蒸気機関車の写真...