D51

C11

No.29 片町線・城東貨物線 放出駅

昭和45年11月に片町線(現在の学研都市線)と城東貨物線(現在のおおさか東線)が合流する放出(はなてん)駅を訪れています。現在の放出駅の南には立派なタワーマンションが建てられ近代的な駅前となっていますが、当時は貨物操車場があり城東貨物線のD...
C50

No.28 糸崎機関区 急行「安芸」

前回の呉線広駅での撮影後、糸崎に向かいました。お目当ては東京発(呉線経由)広島行の急行「安芸」の牽引機がヘッドマークを付けている勇姿でした。期待していたのはC62でしたが、あいにく当日はC59で少々がっかりした記憶があります。しかしヘッドマ...
C57

No.26 山陰本線 嵯峨駅

昭和45年~46年にかけ、山陰本線京都口(現在の嵯峨野線)で活躍するC57の旅客列車やD51の貨物列車を追っかけ、ここ嵯峨駅(現在の嵯峨嵐山駅)にも度々訪れました。現在は嵯峨野観光鉄道のトロッコ嵯峨駅も併設され多くの観光客が押し寄せています...
C58

No.23 加太駅

前回の亀山機関区を訪れ、京都への帰路に加太駅で途中下車しました。当時の関西本線には多くの貨物列車が走っていて「加太越え」としてD51が後補機を付けて活躍しており、この加太駅はマニアの聖地となっていました。「加太越え」の写真は後日撮影していま...
C57

No.18 京都駅でのスナップ写真

今となっては悔やまれますが・・昭和44~45年頃の京都駅で撮影したフィルムはあまり残っていませんが、数少ないスナップ写真をアップします。トップ画像は山陰本線ホームの C57 5です。現在の山陰線ホームからは想像もできない光景で、当時は後ろに...
C11

No.15 吹田機関区 その2 SL編

No.9の記事で昭和44年11月に吹田機関区訪れた画像をアップしましたが、その後昭和45年(1970年)2月に再度訪れたネガフィルムが出てきました。前回より枚数が多いので、SL編、DL編、EL編の3編に別けてアップします。 まずは、形式入り...
8620

No.12 木津駅のハチロク

前回の記事で紹介したように、昭和45年1月に奈良機関区を訪問しましたが、京都から奈良に向かっていた途中の木津駅でハチロク(8620)を見かけましたので、帰りに木津駅で下車しました。 木津駅は関西本線、奈良線、片町線(現在の学研都市線)が合流...
C11

No.11 奈良機関区

昭和45年1月には奈良機関区を訪ねています。当時は情報が少なく自宅近くの本屋さんで奈良市内の地図を見て奈良駅の西に扇状機関庫らしきものがあるのを確認して訪問した記憶があります。  当時の奈良機関区は梅小路機関区に引けをとらないくらいの立派な...
D51

No.9 吹田第一機関区

昭和44年11月に吹田機関区を訪れています。毎回撮影日誌を書いていたのですが、その日誌が行方不明で、どんな経緯で訪れたのか思い出せません。この当時の吹田機関区はSLやDLの所属する第一機関区とELの所属する第二機関区に分かれていました。訪れ...
C57

No.6 初めての梅小路機関区訪問 その2

梅小路機関区の扇形機関庫は国の重要文化財に指定され京都鉄道博物館の一部として残っていますが、現在の本館あたりに立派なガントリークレーンと給炭槽がありました。そのいかにも厳つい重厚な姿は、かつて東海道本線の特急牽引機が配属されていた主要機関区...
D51

No.3 山陰本線亀岡駅まで・・機関助士見習い?

梅小路貨車区からD51_1018のキャブに乗せてもらい嵯峨~保津峡~馬堀の多くのトンネルでの爆煙もなんのその、あっという間に亀岡に到着しました。機関士と機関助士の片にお礼を述べ、お名前をお聞きして後日お二人の写真を梅小路機関区に届ける約束を...
C57

No2. D51_1018との出会い

このブログのタイトルでもあるD51_1018との出会いについて紹介します。  小学校の修学旅行で京都から草津線経由で伊勢志摩方面に行きましたが、途中のとある駅に止まっていたD51を見て、眠っていた何かが目覚めたような気がし、蒸気機関車の写真...