鉄道写真-車両形式

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No.17 吹田機関区 その4 EL編

今回は昭和45年(1970年)2月に訪問した吹田機関区のEL編の画像をアップします。当時はSL・DLが所属する第一機関区とELが所属する第二機関区に分かれていました。前回のDL編でも書きましたが当時の私は蒸気機関車にしか興味がなく、今となっ...
DD13

No.16 吹田機関区 その3 DL編

前回の吹田機関区のSL編に続き、今回はDL編をアップします。  撮り鉄を始めた昭和40年代はすでに無煙化(DC・DL化、電化)が進んでおり、蒸気機関車を愛する自分にとってはDLやELは憎き存在で、あまり撮影したフィルムが残っていません。今と...
C11

No.15 吹田機関区 その2 SL編

No.9の記事で昭和44年11月に吹田機関区訪れた画像をアップしましたが、その後昭和45年(1970年)2月に再度訪れたネガフィルムが出てきました。前回より枚数が多いので、SL編、DL編、EL編の3編に別けてアップします。 まずは、形式入り...
8620

No.12 木津駅のハチロク

前回の記事で紹介したように、昭和45年1月に奈良機関区を訪問しましたが、京都から奈良に向かっていた途中の木津駅でハチロク(8620)を見かけましたので、帰りに木津駅で下車しました。 木津駅は関西本線、奈良線、片町線(現在の学研都市線)が合流...
C11

No.11 奈良機関区

昭和45年1月には奈良機関区を訪ねています。当時は情報が少なく自宅近くの本屋さんで奈良市内の地図を見て奈良駅の西に扇状機関庫らしきものがあるのを確認して訪問した記憶があります。  当時の奈良機関区は梅小路機関区に引けをとらないくらいの立派な...
C57

No.10 旧線の保津峡駅

現在は嵯峨野観光鉄道のトロッコ保津峡駅となっていますが、昭和44年当時は非電化単線であった山陰本線の駅として2線対面式ホームがあり、 旅客列車や貨物列車が交換していました。駅周辺には民家もなく、現在のように娯楽施設が少ない時代で休日には多く...
D51

No.9 吹田第一機関区

昭和44年11月に吹田機関区を訪れています。毎回撮影日誌を書いていたのですが、その日誌が行方不明で、どんな経緯で訪れたのか思い出せません。この当時の吹田機関区はSLやDLの所属する第一機関区とELの所属する第二機関区に分かれていました。訪れ...
C57

No.6 初めての梅小路機関区訪問 その2

梅小路機関区の扇形機関庫は国の重要文化財に指定され京都鉄道博物館の一部として残っていますが、現在の本館あたりに立派なガントリークレーンと給炭槽がありました。そのいかにも厳つい重厚な姿は、かつて東海道本線の特急牽引機が配属されていた主要機関区...
8620

No.5 初めての梅小路機関区訪問

その当時はまだ鉄道ピクトリアル、鉄道ファン、鉄道ジャーナルなどの雑誌の存在すら知らず、No.3の記事で触れたように、山陰本線の車窓から梅小路機関区の姿を初めて見ました次第です。No.2とNo.3で紹介したように夢のような体験をさせていただい...
D51

No.3 山陰本線亀岡駅まで・・機関助士見習い?

梅小路貨車区からD51_1018のキャブに乗せてもらい嵯峨~保津峡~馬堀の多くのトンネルでの爆煙もなんのその、あっという間に亀岡に到着しました。機関士と機関助士の片にお礼を述べ、お名前をお聞きして後日お二人の写真を梅小路機関区に届ける約束を...
C57

No2. D51_1018との出会い

このブログのタイトルでもあるD51_1018との出会いについて紹介します。  小学校の修学旅行で京都から草津線経由で伊勢志摩方面に行きましたが、途中のとある駅に止まっていたD51を見て、眠っていた何かが目覚めたような気がし、蒸気機関車の写真...