梅小路貨車区からD51_1018のキャブに乗せてもらい嵯峨~保津峡~馬堀の多くのトンネルでの爆煙もなんのその、あっという間に亀岡に到着しました。機関士と機関助士の片にお礼を述べ、お名前をお聞きして後日お二人の写真を梅小路機関区に届ける約束をしてD51_1018とともに別れました。
なお、当時は貨物列車のダイヤなど一般には公開されておらず、貨物列車の写真を撮るには偶然を期待するしかなく、その後D51_1018とも再開することはなく、昭和46年に福知山機関区にて第二種休車~廃車となり、悲しい結末となってしまいました。
ヘッダーの写真は昭和44年9月の亀岡駅舎
キハに揺られて京都に戻る
地上駅時代の丹波口駅にて・・・奥の建物が京都中央卸売市場
初めて見た!梅小路機関区
今回のおまけ:3代目の京都駅舎
現在の4代目駅舎とは雲泥の差! 駅舎の2階にはデパートがありました。
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